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2022年8月14日(日)主日礼拝説教(要約)

  説教  霊と知恵に満ちる

                  吉平敏行牧師  

  聖書  ネヘミヤ記 5章1〜13節

      使徒言行録 6章1〜7節

 いつの時代も人々の切実な訴えがあります。昔も今も変わらぬ貧しさからの訴えであり叫びです。それは、この時代を生きる私たち自身が発している心の叫びでもあります。ネヘミヤ記では、その状況が再建作業を困難にする原因となっていることを記しています。食べ物が買えなくなり、畑やぶどう園を手放し、もう手元に財産はなく、子供を奴隷として売りに出さねばならない。程度の差こそあれ、いま事実、外国でも日本でも起こっている社会の状況と言えるでしょう。

  一方、使徒言行録に目を転じると、エルサレムでイエスを信じる者が増えていき、時の指導者たちが警戒し始めると、教会の状況も変わってきます。群れはユダヤ人社会から排斥されてきたため、信者たちは自分の土地や家を売った代金を使徒たちのもとに持ち寄り、一切を使徒たちの管理のもとにおいて、食料を分配して生活していたのです。初めは、信者に貧しい人がいなかった(4章34節)とありますが、更に人が増えると、配給が滞ってきます。特に、ユダヤ人でありながら、ギリシア語を母語としてヘブライ語が話せない人々がいて、ヘブライ語(アラム語)を話せる人たちから軽んじられるというような差別が起こって来ます。それが、配給においても起こり始め、夫のいないやもめたちから苦情が出ていました。人数が増えていったが故に、それまでの教会の体制ではやっていけなくなっていたのです。

 申命記には「この国から貧しい者がいなくなることはない」(15章11節)とあり、「それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。」(15章11節)との主の命令が記されています。貧しい人々が生まれることはいつの時代も避けられない。その問題をどう扱い、指導者がどう群衆に働きかけ、解決していくかが問われているのです。ネヘミヤに与えられた神からの知恵と指導力、使徒たちが「霊と知恵に満ちた」7人を立てて、教会の制度を変えていったことが、共同体を立て直す力になっていたことを見ます。私たちは、こうした聖書の知恵をいただきたいと思います。

 箴言に「反乱のときには国に首領となる者が多く出る。分別と知識のある人ひとりによって安定は続く」(28章2節)とあります。こんな混沌とした時代には、「分別と知識」のある一人の指導者が望まれます。

 私たちキリスト者は、唯一の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じ、イエス・キリストを神の名として呼んでいます。唯一の神を信じる者たちが、自分が連なる群れ、信仰共同体に起こった問題をどう受け止め、その体制の中でどう対処し、どう乗り越えていくかが問われています。

 指揮官ネヘミヤは、民の嘆きと訴えの言葉を聞いて、「大いに憤りを覚え」(6節)たとあります。この憤りの反応に、それまでその人が何を考えていたかが分かります。こういう嘆きを聞いても平然としている人がいます。こういう場面で冷静沈着であることは必要です。しかし、これほどの苦しみを聞き、平気でいたら、訴え続ける側の怒りはやがて爆発するでしょう。

 ネヘミヤは、民衆の怒りの原因が貧しさにあり、負債はかさんでいくのに貴族と役人たちが無関心のままであることによって起こされていることを知っていました。そこで貴族と役人を叱り、さらに集会を招集して、自分たちは、異邦人に売られていた同胞のユダの人々を買い戻したではないか。それなのに、ユダに住むあなたたちは、周辺の同胞の悩みを知りながら、何もせず、放っておいたと厳しく断罪します。ネヘミヤの厳しい憤りに、貴族と役人は何も言えなくなります。そして、ネヘミヤは貧しい人々の負債を帳消しにするよう命じます。ネヘミヤの断行によって、民の憤りは収まり、負担は軽くなり、労働意欲を取り戻していったでしょう。

 聖書学者のファン・リューラーは、旧約聖書が新約のキリスト教会に対して全く独自で独立した意義を持っていると書いています。それは、「言葉の最も広い意味における政治」であるとし、「すなわち国家、社会的経済的生活、文化である。一言で言うならば、地上の聖化である」(「キリスト教会と旧約聖書」)と言います。ネヘミヤの行動は、共同体として問題の解決にあたり、群れに悔い改めが起こり、体制を立て直して、城壁の再建事業に向かわせることができました。ネヘミヤは、「神よ、わたしがこの民に尽くした全てのことを快く心にとめてください。」(5章19節)と、一つ一つを神に祈りながら事業を進めていったのです。

 新約時代のイエスの弟子たちにも、ユダヤ人の考え方があったでしょう。教会は、天に挙げられたイエスに代わり聖霊の導きの元に、12使徒が信者をまとめています。使徒たちの判断と指導によって、この問題をどのように解いていくのかを注目します。

 ネヘミヤは、総指揮官として、貴族と役人たちの問題を指摘し、同胞の負債を帳消しにするよう強硬策に出ました。使徒言行録では、もはやペトロ一人の采配で動くような人数ではありません。12人の使徒たちが、一致してことに当たっていたのです。しかし、それでも個別の要求に対処できなくなってきたのです。そのような中で使徒12人が弟子たちを招集して、「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」と言います。誰の責任、誰が悪い、というのではなく、人数が増えたがゆえに、現状では対応できず、外侮から迫害が起こってきている今、一番大事な宣教に力を注げなくなっているというのです。

 そこで、使徒たちは、弟子たちの中から「霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選ぶ」ことを提案します。一つの霊によって、別々のことに関わりながら一致していられる。そして、使徒たちとの連携を取りながら的確に対処する知識、技量を持っている。ここではギリシア語を話すユダヤ人への対処が求められます。その内の一人、ニコラオは改宗者、つまりもとは異邦人からユダヤ教へ改心した人です。この段階におけるギリシア人とユダヤ人の問題、そこに異邦人からの改宗者が一人加わっていたことも、今後の異邦人宣教への発展を見越した神の知恵を感じます。それが後に教会が直面する、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に起こる律法の扱いという大きな問題にも生かされていくことでしょう。

 こうして、地上における神の民は形を変えた試みを受けてきました。その時々に、神から遣わされた僕たちがいて、問題に取り組み、それが次の時代に間に合う群れ(教会)の体制を作り出していったのです。その結果として、私たち日本人にも福音が届けられたと言えるでしょう。

 今、私たちがキリスト者として、神の民として見抜かなければならない問題は何か。使徒言行録の「霊と知恵に満ちた」とは、個人的な知識や判断によらず、神を畏れ、聖霊の導きに信頼し、与えられた賜物を尊重して、一致して主の教会を建てていくことと言えるでしょう。

 使徒言行録6章7節では「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」とあります。使徒たちの使命が優先される体制が整い、教会内部への実際的な対応も可能になっていったのです。

 旧約時代の民が体制を立て直していくプロセスは「聖化」であるとの考えを見ました。使徒たちに導かれ、教会の問題に7人の「霊と知恵とに満ちた人たち」を立てて、教会が神の言葉の宣教を優先させるようシフトしていったのも「聖化」と言えるでしょう。「聖化」は、キリスト者個人の内面のことだけでなく、群れとしての教会が整えられていくことも含まれます。

 今、教会は、大きな課題に直面しています。人間的な対処では通じる状況にありません。私たちの教会も例外ではありません。人数が多いわけではない。経済力があるわけではない。次世代の人も育っていない。どうやって、どこから手をつけていったら良いのか。

 私たちはイエス・キリストを信じ、神が生きておられることを知っています。福音は、いつの時代にも信じるものに希望を与え、問題に立ち向かわせてきました。基本に立ち返るなら、神は必ず省みてくださるでしょう。

 すなわち、神の言葉である聖書に基づき、イエス・キリストの復活を知る者として、教えられたとおり地道に問題に取り組んでいくことが大切です。ここを誠実に通り抜けた時、私たちは主イエス・キリストの御名によって神を讃えることができるのです。

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