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2022年8月21日(日)オープン礼拝説教(要約)

  説教  The 信仰——その始まり

                  吉平敏行牧師  

  聖書  ルカによる福音書 7章1〜10節

 私たちが「信仰」というとき、そこには何か勇ましいものを感じることがあります。佐賀藩士山本常朝の“葉隠”の「武士道というは、死ぬことと見つけたり」はよく知られた言葉です。また、織田信長による焼き討ちを受けたとき、その火の中で、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったとされる快川禅師の言葉も有名です。私たちの感覚のどこかに、いざ信じるとなるとこれほどのものが求められるかのように、思い込んでいることはないでしょうか。しかし、聖書が教えている信仰は、ただ素直に神の言葉に信頼することなのです。

 ここは、イエス様の山上の垂訓の後の出来事です。人々は各地から、イエス様の教えを聞きたいという気持ちが半分、本音としては病気を癒していただきたい、悪霊などを追い出していただきたいといった思いで、ガリラヤに来ていました。「群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした」(6:19)というのです。信仰に、何らかの実感を求めたくなるのが私たちであります。

 この百人隊長の言葉の何が、イエスをして「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」とまで言わせたのでしょうか。

 この百人隊長は、ガリラヤのユダヤ人たちと良い関係を築いていたのでしょう。ユダヤ人のために会堂を作ったとして人々の尊敬を集めていました。

 ある時、彼の部下が病気にかかり死にそうな状態になりました。この百人隊長にもイエス様の評判が届いていて、イエス様にその部下を癒して欲しいと願ったのです。彼は親しいユダヤ人の長老たちに、イエス様のところへ行って、部下を癒しに来てくれるように頼んでもらえないかと相談を持ちかけたのです。

 長老たちはその百人隊長への感謝もあり、直ちに応じてくれました。長老たちはイエス様に接会って、あの人はそうしていただくのにふさわしい方ですから、何とか来て、助けてやってくださいませんか、と頼んだのです。イエス様は応えてくださいました。非常にことがスムーズに進みます。おそらく、イエス様が引き受けてくださったという知らせが先に百人隊長に届いたのでしょう。すると彼は、今度は自分の友人を使いに出して、自分の思いをイエス様に伝えてもらおうとしました。それが、以下の言葉です。

 「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(7:6〜8)非常に謙虚で弁えのある言葉です。イエス様は、この百人隊長の言葉に感心されたのです。

  少し話は変わりますが、仏教には、大きく二つに分けて他力本願と自力本願と呼ばれる区分があります。他力本願は、救いは絶対他者の力にあると信じて、ただ念仏を唱えることによって成仏するとの教えです。一方、救いを得る側の修行も大切とするのが自力本願です。そんな信仰を考えさせる方が、かつていらっしゃいました。

 私たち夫婦が2005年から開拓伝道をしていた伝道所に、2012年の春、まだ洗礼を受けていらっしゃらない当時88歳のご婦人がある教会の牧師先生の紹介で来られました。お子様方のいる町の高齢者施設に越して来られたのです。

 姉妹は北陸のお生まれで、おばあさまは熱心な浄土真宗、他力本願の信仰で、毎朝、毎晩念仏を唱えておられたそうです。お父様は、母親の信仰に反発して、禅宗を信じ、雪の降る中でも毎朝、井戸水を体に3度かけてから1日の仕事を始めるような人であったと言います。姉妹は、そういう二人の信仰を見て育ったのです。やがてご結婚され、お子さんが生まれてから、友人の紹介で友の会に入られ、キリスト教的な実践を重んずる生き方をしようと考えられました。そういう背景をお持ちです。

 姉妹は、私たちの伝道所に30分ほど歩いて毎週いらっしゃいました。車でお迎えに行きますと言っても「大丈夫です」とお断りになります。まだ礼拝にいらして間もない頃、葬儀セミナーに出席され、姉妹は最後に「先生、私の葬儀をしてくださいますか」と申し出られました。それまでぼんやり話を聞いていた会員も、ピシリと身が引き締まったようです。私が、静かに「わかりました。お引き受けします。そのためには準備が必要です」と言うと、大変喜ばれて、「よろしくお願いします」と仰られる。10回ほどの学びを経て、2013年12月のクリスマスに洗礼を受けられました。当日はお子様方が来られ、皆でお祝いしました。その時、姉妹は89歳でした。

 それから彼女は、毎週の礼拝、家庭集会、礼拝のお祈りもされ、お昼の準備でも積極的に動かれました。いつも新しい会堂のために祈ってくださいました。やがて、お身体に衰えを感じ、礼拝が月2回となり、聖餐式のある礼拝だけになり、2016年11月14日月曜日に召されていかれました。92歳でした。実は、その一月前に、教会で一軒家を借りることが決まり、新しい場所で11月13日に最初の聖餐式を執行したのです。姉妹は、その翌日に召されたのです。まだ引越しの片付けもできていない場所でしたので、義父の教会の礼拝堂を使わせてもらい、ステンドグラスとオルガンと全てが揃った礼拝堂で葬儀を行いました。住み慣れない東京に一人住むことを心配しておられた家族は、母親が礼拝を喜んでいたこと、そして最後に立派な形で葬儀をしてもらえたことに驚いておられました。私は、これは一重にお母さんの信仰です、とご遺族にお伝えしました。

 牧師の一言で私たちの教会に直行し、人生の最後は聖書を学び、礼拝をしたいと申し出て、それを全うされました。ご自分から私たちの教会で葬儀を行うことを願い、それが叶えられました。彼女の一言一言が、そのとおりになっていったのです。そこに、姉妹の信仰を見る思いがしました。他力本願でも自力本願でもない。信仰は、望んでいる事柄がそうなると信じることであり、そう信じて生きることなのです。

  そう考えると、この百人隊長の「信仰」はどこにあったのでしょう。彼は権威を正しく知り、権威に従って行動していました。言葉に力があることも知っていました。ヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と書いています。つまり、神は言であり、神の言に神の力があり、そのとおりになるのです。

 百人隊長の権威は、彼の言葉にあり、部下や兵隊は彼の言葉どおりに動きます。彼は、自分の言葉が人の間で実現することを知っていたのです。彼は、イエス様が神の預言者であれば、その一言で部下を癒すことができると考えました。もし、イエス様が一言「病いよ、去れ!」とでも言ってくだされば、その言葉で部下は癒されると考えたのです。

 イエス様は、少し前にこういうお話をしておられます。

  • わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。

  • ルカによる福音書 6章46〜49節

 神の国では、信仰で生きる人々は、神の言がそのとおりになると信じています。教会も、イエス・キリストが頭であり、神の言葉を伝えさせるために、イエス・キリストが牧師、教師を送って群れを導いていると考えます。神の国では信じることで神の力は発揮するのです。

  パウロは、こう言います。

  • 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

  • コリントの信徒への手紙一 1章21節

 今日、私たちは、神の憐れみを受けてここにいます。神の言葉が、私たちにまで届いたこと、そして信じて救われたことを感謝したいと思います。

 イエス様は言われました。


  • 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

  • ヨハネによる福音書 17章3節

 何かを行うことで救われるのではありません。まことの神とイエス・キリストを知ることに救いはあるのです。

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