日本キリスト教会 神戸布引教会
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2022年10月2日(日)主日礼拝説教(要約)
説教 神の子の福音
吉平敏行牧師
聖書 創世記 18編16〜19節
ローマの信徒への手紙 1章1〜7節
ローマの信徒への手紙はロマ書として知られ、難解な書物として知られています。パウロの手紙13通の内、パウロがまだ行ったことのない教会に宛てた手紙はこの1通だけです。論文と呼べるほど、緻密に、筋道立てて論じられている手紙。パウロは、なぜ行ったこともない教会にこの長文の手紙を書く必要があったのか。
宛先は「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同」(7)とある、ローマのキリスト者です。
この手紙は、16章を見るとコリントのガイオという人の家で筆記者によって書かれています。ガイオは、ユダヤ人の会堂長クリスポとともに、パウロから洗礼を受けた数少ない人で、救いを感謝して、パウロたちの宣教を助けていたのでしょう。使徒言行録18章に書かれています。
この手紙の主たる受取人がローマの信徒への手紙16章3節にあります。
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。
プリスカが妻、アキラが夫です。アキラはユダヤ人、プリスカはローマ名で、家柄の良い人であったようです。この夫婦の家にクリスチャンが集まり、学びや祈りをしていたのでしょう。
パウロがこの夫婦に出会ったのは、第二次伝道旅行でコリントを訪ねた時でした。彼らは、ローマ皇帝クラウディウスが、ユダヤ人を全員ローマから退去させるようにという命令を出した(AD.49〜50年頃)ので、コリントに来ていました(使徒言行録18章2節)。パウロがコリントに来て間も無く、その二人に出会ったのです。
夫アキラはテント職人で、そこにパウロがやって来た。パウロもテント職人でした。彼らはパウロから福音を聞いて、イエス・キリストを信じたのでしょう。パウロは彼らの家に住みながら、1年半ほど宣教しました。しかし、ユダヤ人の反対が強まり、パウロはコリントを離れますが、その時、プリスキラとアキラもパウロと一緒に舟でエフェソに向かいます。パウロはエフェソには入らず、帰途につきます。プリスキラとアキラはエフェソにとどまり、第3次伝道旅行でやってくるパウロを待ちます。
アキラ夫婦がエフェソにいる間、ユダヤ人のアポロがエフェソにきて、会堂で説教をしていましたが、そこに居合わせたこの夫婦が、アポロが語る言葉がパウロが教えていた福音とちょっと違うと感じ、夫妻はアポロを家に招いて、パウロから聞いた福音を伝えます。するとアポロはより理解を深め、コリントへ行きたいということでコリントに向かいます。しかし、その後プリスキラとアキラの名前は出てきません。エフェソで何があったか、ローマの状況が変わったのか。彼らはローマに戻り、家に信者を集めてパウロから聞いた福音を伝えて、指導をしていたのです。
パウロは、ローマのプリスキラとアキラにかつて伝えた福音の全てを論述したと思われます。ですから、ロマ書は、プリスキラとアキラには福音の教科書のような役目を果たしたと思われます。
パウロがローマに行きたがったのは「 “霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたい」(1:11)ということでした。キリスト者が少ない時代に、信仰で生きる力を得るためには、福音を正確に知らねばなりません。福音は、喜びの知らせです。パウロは、「霊の賜物を幾らかでも分け与えて、力になりたい」と思いで、アキラ夫妻を励ます意味でもこの手紙を書いたと思われます。
パウロは、その福音を「神の福音」(ロマ1:1)と書いています。パウロは、他に「キリストの福音」とも書きますし、「御子の福音」(ロマ1:9)とも呼びます。マルコの福音書では、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエス様の最初の言葉について、「神の福音を宣べ伝えて」と書いています。
「福音」は、律法が書かれる以前に聖書に記されていた、というのがパウロの理解です。ガラテヤ書で、パウロは神が異邦人を信仰によって義するという福音を、聖書は予見していたと書いています。信仰の義は、アブラハムの出来事以前に聖書に福音として記されていたのです。つまり、神の福音は旧約の時代からあったことになります。とすれば、ユダヤ人は異邦人の救いを含めた「神の福音」を正しく理解していなかったということになります。
その神の福音の中身を「御子に関するもの」と言うのです。「神の福音」とは、「神の御子」イエス・キリストのことです。主イエスは「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によって、死者の中からの復活によって力ある神の子とされた」(ロマ1:3)方です。
パウロによれば、イエス・キリストが神の子と公にされたのは、復活を経てからである、というのです。天使がマリアに「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と(ルカによる福音書1章35節)語っていますが、天使の言葉を聞いたのはマリアだけであり、まだ公に認識されたわけではありません。4節の「聖なる霊」も、パウロは聖霊と区分して正確に書いています。神の聖い霊によって復活させられ、そこで初めて公に「神の子」と宣言されたということです。
そのイエスが「神の子」であると、初めて公に語り始めたのはパウロでしょう。
パウロは、イエスの弟子たちを律法に背く者と考えて捕らえていました。そのパウロが、ダマスコへの途上で、天からまばゆい光とともに主イエスの声を聞き、やり取りの中で、それをはっきりと確認しています。彼は、ほとんどパニック状態だったでしょう。彼は、まばゆい光で失明し、従者に連れられてダマスコに入り、ユダヤ人の家で祈り続けていました。そこに、イエスの弟子のアナニアが尋ねてきて、自分が遣わされた理由を伝えると、パウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになり、彼は洗礼を受けて元気を取り戻します。
その後で、パウロは「この人こそ神の子である」とイエスのことを伝え始めたのです。パウロは、イエスは神の子であると知ったことを天からの啓示と理解しました。イエスこそメシアであり、そのイエスを「神の子」と知ることこそ救いであると考えたのです。
アキラはユダヤ人、プリスカは異邦人。彼らの家に集まっていたのも、そうした多様な人々だったでしょう。パウロはロマ書の中に、イスラエルの救い、異邦人の救い、そして全ての人の救いの完成まで書いています。ユダヤ人と異邦人の違いも説明しています。異邦人とユダヤ人とを隔てていた律法についても解説しています。こうした、救いに関する一切が記されたこの手紙で、プリスキラとアキラはどれほど助かったことでしょう。
福音を伝えるパウロがいて、そのパウロが宣教地でプリスキラとアキラのような人々に出会う。その人たちが、パウロが伝える福音を正しく理解し、次の人たちに伝えていく。パウロが、この夫婦を「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています」と書いたのは誇張ではありません。そういう信徒夫婦がいて、神の福音は、律法のことも含めて異邦人にまで伝わっていったのです。パウロは「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(ロマ1:16)と書いていますが、福音は、福音の中身を理解して、自分の口で語る人がいて、またそういう宣教者の働きを助ける人がいて、今日まで届けられてきたものです。
パウロはそれを「わたしの福音」と呼び、「この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画(ミステリー)を啓示するもの」、「その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました」と書いています。
パウロは「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです」(ロマ1:6)と書いています。
私たちも、この救いの中に入れていただいています。福音が自分にまで伝わるために、これだけの人々が関わり、その折々に福音の中身が語られていったのでしょう。私たちがイエス・キリストの福音により救いに与ったことは、啓示と呼べる神のミステリーなのです。
このローマ書に私たちの救いに関わる全てが記されていると信じ、この秋、挑戦して読んでいきたいと思います。それは必ず、私たちの力になるはずです。