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2023年3月5日(日)主日礼拝説教(要約)


   説 教  人を歪める恐れ

                    吉平敏行牧師 


   聖 書  申命記 14章3~22節

         ガラテヤの信徒への手紙 2章11〜21節

 ここは、シリアのアンティオキアの教会で起こった問題で、使徒言行録によれば、ギリシャ世界に福音が広がっていく、その中心となった教会での出来事です。パウロとペトロが真正面からぶつかった場面です。例えて言えば、教会の横綱ペトロに大関パウロが頭からぶつかっていった大取り組み、パウロがほぼ一方的に押し切った形です。エルサレム教会で絶大な信頼を得ているペトロとかつて教会の迫害者、しかし今、異邦人伝道において実績を得ているパウロ。律法の厳格な教育を受け、学識においては誰にも引けを取らないパウロが、ペトロに敢然と立ち向かったというイメージでしょう。福音の本質に関わる、決して負けられない一番です。

  イエス様が対峙していたのは、祭司長、ファリサイ派の人々、律法学者たちであり、その後を継いだ使徒たちは、普通の人として同じ問題に直面し、ステファノのような殉教者も出していました。しかし、教会は新たな戦いに入っていきます。敵は悪魔ですが、その攻撃は、誰もが正しいと信じて疑わない律法をちらつかせて、信者の心に囁きかけるのです。「それは、罪を犯すことにならないのか?」掟を思い起こさせて、それは違反ではないのか、と脅すのです。パウロは「罪の力は律法」(コリント一15:56)と書きました。神に代わって罪を指摘し、その人を責め続けて、力を発揮するのが律法です。律法に違反すれば、神に裁かれるゆえに恐れが生じるのです。

  これまでユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者とが、分け隔てなく交わりを持っていたアンティオキア教会に、エルサレムからユダヤ人キリスト者がやってくる。もちろん、ペトロが知っている人々もいたでしょう。

  この種の衝突は、使徒言行録15章1~2節の「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた」に記されています。その問題のについて話し合うためにエルサレムで会議が開かれたのです。ガラテヤ2:1~10は、エルサレム会議が開かれる直前、ヤコブとヨハネ、パウロとバルナバらが親しく語り合い、異邦人伝道についても理解したはずです。そこにいたはずのペトロが、エルサレムからユダヤ人キリスト者が地方の教会にやってきた。その大切な場面で、腰砕けになったという話です。

  それまで分け隔てなく食事までしていたユダヤ人と異邦人との間に微妙な緊張が生まれました。徐々に交わりの自然さが失われ、かつての親しみが失せていく。それとなくユダヤ人キリスト者が食事を避けるようになる。「身を引こうとしだした」とは、そういうことです。とうとう、パウロと一緒に労したバルナバまでも、その雰囲気に飲み込まれていく。

  イエス・キリストを信じるだけで十分である、とする福音の核心部分が、教会内で揺らぎ始めたのです。パウロは、それを「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」(14節)と責めました。2章4節では偽の兄弟たちがもぐり込んで来たようでしたが、こんな身近にまで、信者を指導する立場のペトロ、バルナバまでも感化されていったのです。

  パウロはその原因を12節で「割礼を受けている者たちを恐れて」と分析します。信仰の確信をぐらつかせた原因は「恐れ」でした。異邦人と一緒に食事をして宗教的に汚れるのではないか、罪を犯すことになるのではないか、という恐れです。ペトロの首尾一貫しない振る舞いが、異邦人キリスト者の信仰の確信を奪いかねない状況を生み出すことになったのです。

  そこでパウロは、ペトロの振る舞いは、福音の真理に正直でない、と皆の前でペトロを非難したのです。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」ペトロは、自分の振る舞いがそれほど影響を及ぼすとは考えていなかったかもしれません。

  恐れは判断を狂わせ、言葉や表情に現れ、その後の生き方や人との関係まで変えてしまいます。目指すべきまっすぐな道が、掟や定め、様々な言い伝えなどに脅かされ、逸れていきます。問題が起こらないように、無難に抜けようとします。パウロが「手をつけるな。味わうな。触れるな」(コロサイ2:21)といった戒律や教えが、当時の信者の思いを占めていたのでしょう。アンティオキアの教会の雰囲気は変わり、イエス・キリストを信じただけでは救いは不十分で、やはり律法を守るべきではないか、という空気が起こり始めたのです。

  信仰による義には、正しい認識を必要とします。ユダヤ人は熱心であっても、本当の神の義を知らず、結果として自分の義を追い求めるようになっている、とパウロは指摘しています(ローマ10:2~3)。

  大祭司の庭で、イエス様が裁判にかけられている時に、ペトロは3度もイエス様との関わりを否定し、最後に「何を訳のわからないことを言っているのか」としらばくれた、その時、突然、鶏が鳴きました。ペトロは「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた 」(ルカ22:61~62)と書かれています。ペトロは、あれほど悔いたのではないか、自分を責めたのではないのか。それが、この場面に至って、律法を破ることになるのではないか、という不安に駆られ、彼の行動がちぐはぐなものになっていきます。法が、それを破るかもしれないとの恐れが人の判断を歪めるのです。

  そこに、信仰は、個人的な体験、それに伴う悔い改めと信仰告白ばかりではない、福音を正しく知る、という福音内容の理解が問われてくるのです。そこが、専門家の元で律法を学び、復活のイエスに出会い、イエスとは誰であるのかを吟味し直したパウロとの違いではなかったでしょうか。

  子安宣邦氏は「ある書に人が出会うとは、その書に人が自分に問いかけられている著者の声を聞くということである。だがそうした声を聞きうるためには、自分もまた問いを発していなければならないだろう。問いを発するものに著者の声は聞こえてくるのである」(「昭和とは何であったか 反哲学的読書論」)と書いています。本当の義を求める思い、真理を探究する心があり、そういう中で聖書に出会う。聖書をイエス・キリストの声として聞き、それに応答するということの大切さ。聖霊の確信を得るという、私たちの救いが神の啓示によるとの確信が求められるところです。

  王敏氏は「日本人は、神を感性で感じているからに違いない、こう(わたしは)思うようになった。心の中にいると感じているということだ。自然と一体になる感性から生まれる共鳴を神聖とする心だ。神聖な共鳴は教義という言葉で語れるものではない。信じるかどうかではなく、感じるかどうかである」(「日中2000年の不理解——異なる文化「基層」を探る」)と書いているのも、わたしたちの弱さを言い当てています。漠然と救いや神の愛を「感じる」信仰から、救いを明確に記す聖書を「正しく理解する」信仰へと進み出さねばなりません。

  主イエスは「狭い門から入れ」と言われましたが、福音の真理に生きる道はかくも狭いものです。律法は、人が生きている間、神の掟として支配するものであり、わたしたちは生きている限り、掟に支配されます。ですから、掟が人を支配することができなくなったときに、わたしたちは自由にされるのです。その自由の秘訣を、生きている間に身に着けられるかどうかです。

  パウロは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と言います。十字架の上で、イエス・キリストと罪人のわたしとが一つになったのです。わたしの罪をイエス・キリストが担い、十字架で処罰されたゆえに、わたしはもう自分の罪を負わなくても良くなった。それが、神の恵みによって与えられる義であり、一貫してイエス・キリストを信じることで与えられるものです。 わたしは今、こうして生き、生かされています。この罪深いわたしのためにご自身の命を十字架でお捨てになった神の子イエス・キリスト、その方がわたしを愛してくださった故に、十字架で死なれたのです。それを信じるだけで十分なのです。

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