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2024128日礼拝説教(要約)


 説教 神が動くとき

               吉平敏行牧師


  聖書  出エジプト記 3章1〜10節

      エフェソの信徒への手紙 1章1〜14節

 エフェソの教会の状況は、使徒言行録19章以下に記されています。それによると、イエスの弟子とされながら、聖霊について教えられておらず、本来の信仰に立っていない信徒たちがいました。あるいは魔術を行うユダヤ人の祈祷師たちにより、多くの人々がその影響を受けていたこと。そして、アルテミス神殿の観光業にとって、福音宣教が妨げになると思われたことなど。これらは、今の日本の宣教土壌にも通じる話です。

 パウロはそれらを総じて「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊」(エフェソ2:2)と考えます。福音宣教とは、人の心を支配する諸霊との戦いであるということです。

 この手紙の中で、パウロが他の手紙以上に祈りを記しています。祈り無くして、宣教はできません。それ6章の終わりを見れば分かります。

 17節以降では、「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」(18~19)と祈っています。

 人間の救いは、神が計画を立て、それを歴史の上で実現すべく意思を働かせて悪の力と戦った結果と与えられます。それが「時が満ちるに及んで」(10)実行されます。神の救いとは、人との関わりの中で、人を通して、歴史において実現してきたものです。イスラエル民族の出エジプトの出来事も、ファラオの政策により、ヘブライ人の男の子だからと直ちに殺されるべきところを、ナイル川で湯浴みしていてファラオの娘に救い出されたことから始まります。王宮で育てられたモーセは、40歳になった時、同胞のヘブライ人の苦しみを見て、自分の力で救い出そうとしますが失敗します。ミデアンに逃れ、祭祀の娘と結婚し、羊を飼う者となってさらに40年を過ごします。そうした中で神はモーセにご自分の民をエジプトから救い出すようにと命じます。

 「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。」(2:23~25)

 あっという間に読める聖書記事に、国の王が関わり、その時代に生まれた一人のヘブライ人の男の子の人生があって、神はご自分の民を救い出そうと、ご自分が動き始め、一人の人を通してご自分の民を救い出そうとされるのです。こうして救いとは、時間をかけて、人を起こし、神が共におられて、一つ一つ神の業を実現させながら起こってきました。

 この手紙には、ユダヤ人と異邦人、夫婦、親と子、主人と僕の関係についても書かれています。手紙の最後に、悪の諸霊との戦いが記されています。全てがつながりを持っていて、神のご計画が地上で起こっていくのです。イエス・キリストを信じることで与えられる救いには、想像をはるかに超えることが起こっています。

 イエス・キリストを信じた者が神の子とされ、「新しい時代の神の群れ」として教会(エクレシア)を形成し、キリストを証しすることが求められます。教会は宣教者を送り出し、福音は伝わってきました。

 今日、なぜ、こんなにも教会に力がなくなったのでしょう。教会を形成する、キリスト者一人一人に救いの確信が得られず、信仰から生まれる喜びがなくなってしまっているからではないかと懸念します。

 パウロは13節で「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押された」と書いています。礼拝ごとに説き明かされる真理の言葉、それが「救いをもたらした福音」です。その福音を「聞き」、「イエス・キリストを信じて」、「約束された聖霊で証印を押された」という事実です。

 大事なのは「キリストにおいて」、つまりキリストのご支配によって、ということです。エフェソ1章では「キリストにおいて」が繰り返し使われています(1:3、4、7、9、10、11、13)。そして、キリストを信じたゆえに、「約束された聖霊で証印を押された」のです。聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言えませんし、聖霊によらなければ「天のお父様」とは祈れません。その聖霊が「御国を受け継ぐための保証」となっています。「御国を受け継ぐ」とは、アブラハムに与えられた「相続の約束」です。

 その約束とは、「土地」と「天の星の数ほどの子孫」であり、イエス・キリストご自身であり、イエス・キリストを信じた「天の星の数」ほどのキリスト者でもあります。

 信仰は、自分だけがしっかり信じていれば良いというものではありません。神は、ご自分の民を通して、救いの計画を推し進めていかれるからです。礼拝を共にし、交わりを持ち、キリスト者の繋がりとなり、そうした人の群れの中で次世代が育っていきます。この豊かさは、全て憐れみ深い神のご計画によります。

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