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2024年2月11日主日礼拝説教(要約)


説教  今、どこにいるのか

                吉平敏行牧師


聖書  詩編 51編3~14節

    エフェソの信徒への手紙 2章1~10節

 「恵み」は、神の側から、思いがけず、思いを超えて、一方的に与えられる賜物と言えるでしょう。キリスト者となったエフェソの信者は、かつて罪過と罪の中に「死んでいた」自分を振り返ることができるようになったのです。今なら、パウロの言っていることの意味が分かる。神による救いとは、そういうことです。パウロは、コリントの信徒にも「あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう」(1コリ12:2)と、過去を思い起こさせています。

 「この世」(2節)は「この時代」です。かつては時代の流れに逆らわず、「空中の権威、つまり、不信仰な子らに今も働く霊を司る者のもとに歩んで」いた者たちです。「不信仰な子らに今も働く霊」とは悪魔のことです。神を信じまいとする人々の心や思いを支配して、人々の言葉や行動によっていまもなお働いています。

 こうした霊的な存在には注意せねばなりません。神が恵みと愛しみによって世界を造られ治めておられる。しかし、被造世界には悪魔がいて、神に逆らう者たちを通して、働きかけている。しかし、あくまでも行動するのは人間で、それを悪魔のせいにするわけにはいきません。

 もちろん、自分は社会の秩序に則り、良いことをしている、間違ったことはしていないと思っているのです。しかし、それが「体と思いの欲するまま」の行動で、肉の欲の中で生きてきたために、「他の人々と同じように、そのまま神の怒りを受ける子だった」とは、気づきません。「肉の欲」とは性欲、食欲、金銭欲のようなものばかりではなく、カルヴァンも言うように、高度な「欲」も含まれます。業績、成功、有名になること、そのための努力。時に、正論を吐き、人を論駁する。いかにも良いことのように見えますが、肉の欲は様々な働き方をします。

 そうした状況で、神はその人々の苦しみの中におられ、叫び続ける者の魂を救い出してくださいます。そうした、神の愛しみを知らないところに、人の死があります。

 その「あわれみ豊かな方」と「死んでいるわたしたち」とが、どう関わるのか。私たちは、どうしても、地上の論理で救いを考えますが、パウロが伝える救いの論理に耳を傾けなければなりません。救いは感情ではなく、神が世にもたらされた出来事です。その事実があって、私たちは救われ、そして喜びます。

 人の死は、何を語っているのでしょう。霊において死んでいる人間も似たような有様かもしれません。それゆえ、霊については聖書に学ぶしかありません。かつては死んでいた者が、生かされると聖書は伝えます。

そこに「あわれみ豊かな方」が、「その大きな愛でわたしたちを愛してくださり」働きかけられたのです。死んでいた私たちは、この「大きな愛」に包まれて、神に抱きかかえられるように、生かされたのです。神の側から働きかけてくださったゆえに、私たちは生きる者となった。パウロは、それを「恵み」と説明したのです。この神を「知る」ことが「救い」です。

 しかしその神が現れた時、人々は力ある「神」、いわゆる全能者を期待しました。結果として、人として来られた神の子イエスを否定しました。その極みが十字架となり、神が本来の力を示したのが死者の復活でした。神は、墓に葬られた死者を復活させ、新しいからだを備えて弟子たちの前に立たれたのです。神は、「信じる者」を救おうとされたのです。

 それが、イエス・キリストを信じた者たちに与えられる特権です。「キリストと共に生かし」「共に復活させ」「キリスト・イエスがおられる天に共に座らせてくださいました」です。キリストに起こったことが、キリストを信じた者にも起こることを教えています。

 パウロはコロサイ書で、別の言い方をしています。


あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。

3章3節 

 

と書いています。 これも、そのまま受け入れるしかありません。これが命の実態です。信仰とは、「わかる、わからない」ではなく、徹頭徹尾、信じることにあります。

 それゆえ、パウロはこう言います。


あなたがたは、恵みの中で、 信仰によって救われています。 それは、 あなたがたから出たものではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇らないようにするためです。

8、9節 私訳 


 この希望なき時代の次にどんな世界が現れてくるのでしょう。自分で想像する小さな救い、ささやかな幸せではなく、あわれみ豊かな神の恵みによる豊かな救いを知ってください。その道を知らないまま、一度限りの人生を終えたくはありません。

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